1980年12月8日②「ジョン・レノン殺害!」
1980年12月8日の午前中、自宅ダコタ・ハウスでジョンはローリング・ストーン誌掲載用写真のフォトセッション(撮影:アニー・リーボヴィッツ)に臨んだ。11月に発売されたニューアルバム『ダブル・ファンタジー』のジャケット写真(篠山紀信撮影)では、整髪料をまったくつけないマッシュルームカットのヘアスタイルにトレードマークの眼鏡を外し、まるでビートルズ全盛期の頃のように若返った姿が話題を呼んだが、この日のジョンはさらに短く髪をカットし、グリースでリーゼント風に整え、眼鏡を外して撮影に臨んだ。その姿はデビュー前、ハンブルク時代を彷彿とさせるもので、彼なりに初心に返って新たな人生を始めようとしているようでもあった。
チャップマンは数日前にニューヨーク入りしており、宿泊したホテルの宿泊名簿の署名欄には、自らを「John Lennon」とサインしている。殺害当日の大半をダコタ・ハウスの近くで留まり、夕方にレノンにサインをもらったあと、両親を見送りにベビーシッターに抱かれて出ていたショーンとも握手をしている。
一方、レノン夫妻は「The Hit Factory」にてラジオ番組のインタビューを受ける。この最期のインタビューで、レノンは新作や近況についてはおろか、学生時代に結成したビートルズの原型となるスキッフルバンド「クオリーメン」のこと、マッカートニーやハリスンとの出会いについても、懐かしそうに語っている。そして皮肉なことに、「死ぬならヨーコより先に死にたい」「死ぬまではこの仕事を続けたい」などと、まるで数時間後に自らに降りかかる悲劇を予言するかのような発言を残している[3]。
その後、チャップマンはレノンの帰宅を待つためにその場にとどまった。午後10時50分、スタジオ作業を終えたレノンとヨーコの乗ったリムジンがアパートの前に到着した。レノンとオノが車から降りたとき、チャップマンは暗闇から「ミスター・レノン?」と呼び止めると、銃を両手で構え5発を発射、4発がレノンの胸、背中、腕に命中し、レノンは「撃たれた」と2度叫びアパートの入り口に数歩進んで倒れた。警備員は直ちに911番に電話し、セントラル・パークの警察署から警官が数分で到着した。
警官の到着時にレノンはまだ意識があったが、既に大量出血し、一刻を争う危険な状態であった。そのため、二人の警官が彼をパトロールカーの後部に乗せ近くのルーズベルト病院に搬送した。一人の警官が瀕死のレノンの意識を保たせるため質問すると、声にならない声で、自分がジョン・レノンであること、背中が痛いことを訴えたというが、ジョンの声は次第に弱まっていった。病院到着後、医師は心臓マッサージと輸血を行ったが、レノンは全身の8割の血液を失い、失血性ショックによりルーズベルト病院で午後11時過ぎに死亡した。伝えられるところによれば、レノンの死亡時に病院のタンノイ・スピーカーから流れていた曲はビートルズの『オール・マイ・ラヴィング』だったという。
事件後チャップマンは現場から逃亡せず、手にしていた『ダブル・ファンタジー』を放り出し、警官が到着するまで『ライ麦畑でつかまえて』を読んだり、歩道をあちこちそわそわしながら歩いていた。彼は逮捕時にも抵抗せず、自らの単独犯行であることを警官に伝えた。被害者がジョンであることを知った警官が、「お前は、自分が何をしでかしたのか分かっているのか?」と聞いたときにも、事も無げに“I just shot John Lennon.”(「ジョン・レノンを撃っただけさ」)と答えた。ニューヨークWABCのリポーターはチャップマンを取り調べた警官の談話を聞いた。警官は「すごくことも無げにしていた」と語った。もう一人の警官はチャップマンを「田舎のイカれた奴」と語った。
病院でレノンの死を伝えられたオノ・ヨーコは泣き叫んだという。後に病院で記者会見が行われ、スティーヴン・リン医師はジョン・レノンが死亡したことを確認した。博士は「蘇生のために懸命な努力をしたが、輸血および多くの処置にもかかわらず、彼を蘇生させることはできなかった」と語った。
ジョンの射殺に関しては、当初、ケネディ大統領暗殺事件と同様のケースという主張や、「FBI関与説」なども持ち上がったが、現在は、冒頭の記述のように、「マーク・チャップマンの単独殺害」として結論づけられている(しかしオノや次男・ショーン、先妻との長男・ジュリアンはそれを信用していないと言われている)。また、当時「チャップマンはレノンの熱烈なファン」という報道と共に様々な憶測も飛び交ったが、同犯人はある種の精神疾患的な症状もあり、「熱烈なファン」という説明自体も疑問視されている。
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