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2009年12月23日 (水)

「日本を取り込むためには、天皇を取り込め」が中国の対日外交戦略だった。

■1.宮内庁長官に異例の政府批判■

   中国の習近平国家副主席の天皇陛下との会見で、民主党が
   「1カ月ルール」を破ったことで、羽毛田宮内庁長官が「心苦
   しい思いで陛下にお願いした。こういったことは二度とあって
   ほしくない」と異例の政府批判を述べた。

   「1カ月ルール」とは、外国の賓客が天皇陛下と会見する場合、
   通常は1カ月前までに文書で正式に申請するというものだ。6
   年前、前立腺がんの手術を受けられた陛下のご健康を考慮して
   制定されて以来、厳格に守られてきた。

   問題は、単なるルール破りより、もっと根深い所にある事を、
   東京大学教授・山内昌之教授は指摘する。

       陛下が中国に限らず重要人物だからという政治理由で引
       見されるには、慎重な手続きを踏むべきだ。でないと、政
       治の恣意(しい)性で象徴天皇制の根幹が崩れかねない。
       その危険に政府首脳らの危機感がうかがわれないことが憂
       慮される。

       陛下は、国の大小、その国が大事か否かという政治的重
       要性の判断で扱いに差をつけず、どの国とも、ルールと慣
       行を尊重した政府の意思と責任に従って友好親善の実を挙
       げてこられた。

       ・・・ある国や指導者が重要だから会うべきだという議
       論ほど、陛下のお考えや生き方になじまない発想もないだ
       ろう。

   皇室による親善外交とは、すべての相手国に平等に対応する
   のが原則である。重要な国だから1カ月ルールを無視しても良
   い、というのは、政治的判断であり、天皇の政治利用そのもの
   である。

■2.「民主党側は、まるで中国の走狗(そうく)」■

   今回の会見は、中国側の度重なる申し入れに端を発している。
   政府は11月30日に一度、「1カ月ルール」から「会見は無
   理」と通告したのだが、駐日大使館が中心とする中国側が政府
   ・民主党だけでなく、自民党の中曽根康弘元首相らにも「なり
   ふり構わず」(外交筋)働きかけた。

       別の外交筋はこう解説する。中曽根氏ら自民党の政治家
       は、われわれが「ルール破りはダメです」と説明したら理
       解してくれたが、民主党側は、まるで中国の走狗(そうく)
       となった。

   習近平副主席は、胡錦濤主席の有力な後継者とされており、
   胡錦濤主席が副主席時代に来日して、天皇陛下と会見している
   前例に倣った、というのが、一般的な見方である。中国の常と
   して、複雑な後継者争いがあり、その中で習近平副主席に天皇
   陛下との会見という政治的実績を作らせたい、という思惑があっ
   たと推察されている。とすれば、日本政府側のみならず、中国
   側の政治利用と言うべきである。

   そして、中国側の天皇利用は今回に限らず、今までの日中外
   交上、何度も繰り返し使われた常套手段であった。今回はこの
   問題を歴史的にたどってみたい。

■3.毛沢東の「天皇陛下によろしく」■

   1950(昭和25)年に勃発した朝鮮戦争では、韓国を侵略した
   北朝鮮軍に中国軍が荷担しており、米軍を主力とした国連軍と
   戦った。

   その戦争の最中の1952(昭和27)年4月、中国は日本との国
   交正常化に動き出した。周恩来首相は、日本で生まれ育ち、後
   に「知日派」の代表として君臨することになる廖承志を呼び出
   し、「中日関係に関する宣伝分件」なる文書を見せた。廖が文
   書を読み終わると、周はこう語った。

       毛主席の指示であり、中央が決定した対日方針だ。中央
       は中日人民の間の友好往来を展開することを決定した。日
       本絡みの問題はあなたの責任でやってほしい。[3,p147]

   米国と戦っている最中に、その占領下にある日本を米国から
   離反させ、味方につけようとするとは、恐ろしいまでの戦略性
   である。

   1956(昭和31)年、「日本商品展覧会」が北京で開催された。
   毛沢東は博覧会総裁の村田省蔵に対して、「帰国したら鳩山一
   郎首相によろしく伝えて下さい」と言い、かつ「天皇陛下にも
   よろしく」と話しかけた。

   毛沢東は、日本人の持つ皇室尊崇の念を、延安で日本軍捕虜
   の洗脳に携わった日本共産党の野坂参三から学んだようだ。野
   坂は捕虜となった日本軍兵士が山道で東方に向かって一列に並
   び、「皇居遙拝」の号令で最敬礼する光景を見ていた。

   ソ連のコミンテルンは「天皇制打倒」を指示していたが、毛
   沢東は野坂からの意見を受けて、「日本人を味方として取り込
   むには、日本人の絶対多数が尊敬する天皇を利用した方が有利」
   という考えを持ったのだった。

■4.昭和天皇のお言葉に興奮したトウ小平■

   文化大革命後、周恩来首相は、ソ連との対立に備えて、アメ
   リカを味方につけるべく、1972(昭和47)年2月、ニクソン
   大統領の電撃的な訪中を実現させ、さらに9月には、アメリカ
   と競わせるように田中角栄首相を北京に招いた。

    副総理だったトウ小平は、1978(昭和53)年10月に来日
    した。トウは経済の混乱を克服し、改革・開放を進めるべく、
    戦後の急速な復興と高度成長を遂げた日本から技術と投資を
    引き出すことを狙っていたのである。

   トウ小平は10月23日、昭和天皇と会見した。昭和天皇は
   挨拶ののち、こう切り出された。

       両国の間には非常に長い友好の歴史があり、その間には
       一時、不幸な出来事もありましたが、過去のこととしてこ
       れからは長く両国の親善の歴史が進むことを期待していま
       す。

   会見に先立ち、外務省、宮内庁が在日中国大使館の間で事前
   協議がされており、事前に練られた発言要領があったのだが、
   この部分は、陛下が原稿から離れて、御自身のお言葉として述
   べられた。この予想外のご発言に、トウは興奮してこう語った。

       ただ今の陛下の言葉に非常に感動しました。過ぎ去った
       ことは過去のものとして、今後は前向きに両国の友好関係
       を建設し、進めなければなりません。

   トウは「陛下の都合の良い時期に中国を訪れ、ご覧になるこ
   とを希望します」と招請した。トウは、天皇訪中が日本を取り
   込むための効果的な手段となることを確信したのだろう。陛下
   は「もし、機会があれば、うれしく思います。これは日本政府
   が決めなければならないことです」と答えられた。

   会見後、日本政府は中国代表団に「天皇訪中招請」は発表し
   ないでほしい、とこっそり伝えた。台湾と断交してまで、日中
   国交回復を進めた田中政権の対中政策に、批判的な世論が根強
   かった。

■5.胡耀邦の天皇訪中工作■

   トウ小平のもとで改革・開放の旗振り役を務める胡耀邦・総
   書記は、1983(昭和58)年に来日し、先進工業国、民主主義国
   の有様に感動して、「日本びいき」となった。胡は、日本を中
   国近代化のモデルにしようと考えていた。

   1984(昭和59)年3月、訪中した中曽根康弘首相は、人民大
   会堂東門の広場で19発の礼砲が鳴り響く中で歓迎された。外
   国指導者のために礼砲を鳴らすのは、文革後初めてのことだっ
   た。さらに胡は、中曽根首相夫妻を北京・中南海の自宅に招き、
   家族ぐるみで昼食を共にした。中南海の自宅に外国指導者を招
   くのは、中国外交史上初めてのことだった。

   昼食後、胡は、こう述べた。

       貴国の経済、技術の御支援に非常に感謝する。あなた方
       の厚い友情を決して忘れることはない。

   こうした中で、中国政府幹部が田中角栄前首相の目白御殿を
   訪れ、「天皇の訪中を実現させたい」と依頼した。天皇陛下の
   訪中が実現すれば、日本国内の反中勢力を抑えられ、日中間の
   協力関係をますます進めることができるという考えだった。
   80年代に北京に勤務した外務省幹部は、こう語っている。

       日本国民の心をつかむためには、まず天皇陛下の心をつ
       かまえたらいいということを、中国は分かっていた。
      

   田中は「よし分かった。中曽根に言ってやろう」と即答した。

   田中は中曽根首相に電話したが、中曽根は首を縦に振らなかっ
   た。宮内庁とも相談した結果、天皇訪中は時期尚早と判断した
   のである。その理由の一つが、「陛下がまだ沖縄に行っていな
   い」ことだった。

■6.日本は西側諸国の対中制裁を打ち破る突破口■

   1986(昭和61)年12月に安徽省の中国科学技術大学で民主
   化を要求する学生デモが起こり、全国に広まった。胡耀邦の改
   革路線に勇気づけられた学生たちが、政治的自由を求めて立ち
   上がったのである。

   トウ小平は、学生デモを「非常に重大な事件」と捉え、「こ
   こ数年来、一貫してブルジョワ自由化反対に十分な努力を払っ
   てこなかったのは、胡耀邦同志の重大な誤りだ」と批判した。

   胡耀邦は総書記を辞任し、1989(平成元)年4月、失意の内に
   亡くなった。胡耀邦の死を悲しむ学生らが100万人も北京の
   天安門広場に集まり、これを戦車隊が蹴散らして、1万人規模
   と言われる死者が出た。天安門事件である。

   西側諸国は対中制裁に踏み切った。日本政府も、前年、竹下
   登首相の訪中で約束した第3次円借款(90-95年度、総額81
   百億円)の供与を見合わせた。

   トウはこれに対して、「日本工作を重視しろ。日本を先行さ
   せ、徐々に制裁を取り消させ、西側諸国の中で率先的役割を果
   たすよう推し進める」との指示を与えた。銭外相は回顧録『外
   交十記』の中でこう書いている。

       日本は当然、自身の利益のためにやっているのだろうが、
       西側諸国による対中制裁の共同戦線の中で弱点であり、中
       国が制裁を打ち破る際におのずと最良の突破口になった。
      

   中国は竹下前首相など親中派に工作をして、1990(平成2)年
   11月、円借款の凍結解除を勝ち取った。対中援助に慎重な欧
   米諸国の先陣を切った形となった。翌年8月には海部俊樹首相
   が天安門事件後、西側諸国首脳として初の訪中に踏み切った。

■7.「天皇陛下が政治に巻き込まれる」■

   日本を突破口とする工作が成功すると、中国政府は次の目標
   として天皇訪中を狙った。海部首相と会談した李鵬首相は、
   「来年の国交正常化20周年に」と時期を明らかにして、天皇
   訪中を招請した。

   1992(平成4)年1月に訪中した渡辺美智雄副総理・外相に、
   李鵬はこう語った。

       われわれは、日本では天皇が国民の心の中にいることを
       知っています。

   しかし、これには自民党の中で、「天皇陛下が政治に巻き込
   まれる」と、反対論・慎重論の声が高まった。

   4月には江沢民総書記が来日し、「本年の天皇訪中を中国国
   民は心から歓迎したい」と持ちかけた。江沢民は天安門事件直
   後に総書記になったばかりであり、ここでトウ小平の期待して
   いる天皇訪中を実現できれば、自身の権力基盤を強化できる、
   という思惑があったようだ。こうした中国国内の権力闘争に、
   天皇が巻き込まれかねない、という指摘も、訪中反対論の一つ
   の論拠だった。

   宮沢首相は「自民党の中でこれだけ意見が分かれている状況
   では、総理として決められない」と弱音を吐いたが、決断を迫っ
   たのが、田中角栄が倒れた後、自民党のドンとなった金丸信だっ
   た。橋本恕・駐中国大使からこの状況を聞いた金丸は、その場
   で宮沢首相に電話して、こう命じた。

       宮沢君、天皇訪中問題について決めるべきはごちゃごちゃ
       言わず早く決めたまえ。

■8.中国の「実益外交」と日本の「親善外交」■

   こうして中国が長い間熱望してきた天皇訪中がついに実現し
   たのである[c]。銭外相はこう回顧している。

       天皇訪中は中日2千年の交流史の中で初めてであり、中
       日関係を新たな水準に引き上げた。同時に天皇がこの時期
       に訪中したことは、(天安門事件による)西側の対中制裁
       を打破する上で積極的な役割を発揮し、その意義は両国関
       係の範囲を越えたものだった。

   中国から見れば、日本は先進的工業国として技術や資本を提
   供し、かつまたソ連やアメリカとの対抗上、味方につければ、
   大きな利用価値のある国であった。

   その日本を取り込む最大の突破口が天皇訪中だった。それに
   よって、日本国内の反中国派を押さえ込み、また日本国内で親
   中感情を醸成することができる。中国の対日外交は、あくまで
   自国の国益を目的とした「実益外交」であった。

   それに対して、日本の対中外交は「日中友好」をスローガン
   とし、特に皇室外交は純粋に両国民の友好関係を深めるための
   「親善外交」であった。日本は「友好」そのものを求めたが、
   中国は「友好」の名の下に実益外交を進めて皇室までも利用し
   た。ここに日中関係の非対称性がある。

   皇室外交は、世界最古の王室をいただくわが国が、世界の国
   国と平等に友好親善を進めるための貴重な手段であり、それが
   党利党略によって利用されたり、ましてや外国に利用されるこ
   とは、わが国の尊厳を汚すものである。(文責:伊勢雅臣)

  http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogindex.htm

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