名脇役・何でも屋…木村さん、いぶし銀の輝き
ユーティリティープレーヤーとして3球団を渡り歩き、球界の「キムタク」として親しまれた巨人コーチの木村拓也さん(37)が7日未明、亡くなった。
名脇役として歩んだ苦労人の第二の野球人生は船出早々、突然の病で断たれてしまった。
現役選手として巨人に在籍したのは2006年からの4年間。貯金14が借金14まで失速した1年目の4位から、セ・リーグ3連覇、昨年は日本一奪回も果たした。巨人再生の道のりのど真ん中に木村さんの人なつこい笑顔があった。
19年間で投手以外のすべてのポジションをこなした万能選手。本人いわく「何でも屋」。働き場所を求め、広島から移籍してきた男が07年は外国人選手故障の穴を埋め、08年は若手との競争を勝ち抜いて、ともに100試合以上に出場した。
昨年9月4日のヤクルト戦。延長十一回、加藤が頭部死球で退場し、捕手不在の事態に陥ると、すぐさま捕球練習のためブルペンに向かった。試合でマスクをかぶったのは10年ぶり。十二回を無失点でしのぎ、引き分けに持ち込んだ。
原監督も今年のキャンプイン前日の全体ミーティングで、「2009年で一番感動したシーン。これがチームだと思った。巨人が正しい方向に向かっていると感じたし、自己犠牲がいかに大事なのかを表す光景だった」と語り、このプレーを改めて称賛した。
日本シリーズ第1戦では、七回無死一、三塁から三塁走者・谷のスタートに合わせてわざとバントを空振りし、一塁走者・阿部の進塁を助ける「偽装スクイズ」を敢行した。最後までいぶし銀の働きだった。シリーズ終了直後に現役引退を発表した。
2月のキャンプから、重度の腰痛に見舞われていた。それでも新米コーチの大事な任務となったノックで「強いボールが打てない」「キャッチャーフライがうまく上がらない」と嘆き、練習の合間に黙々と素振りを続けた。
先月2日に行われた「プロ野球新人選手研修会」では講師を務め、後輩たちを激励した。「『俺が一番うまい』と思って入団して、一番得意だったことがうまくいかないのがプロ野球。僕みたいな『何でも屋』で飯が食えるのもプロ野球。壁にぶつかってもあきらめず、自分自身の可能性を探ってほしい」。これからも球界の縁の下の力持ちであり続けるはずだった。(読売ニュース2010.4.7)
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玄人好みのプレーヤーであった。
本当に残念だ。
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