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2010年5月14日 (金)

【日本よ】石原慎太郎 「当節、若者気質」

最近奇妙なというか、不本意な体験をした。

 来賓として出席した首都大学東京の入学式の折、学長、理事長に続いて三人目に祝辞をのべたのだが、それまで司会の若い小綺麗(ぎれい)なアナウンサーが、その度学生たちに起立を促しているのだがなぜか礼をさせない。私の時も学生たちは起立したが『礼』とはいわれないので、私は司会者に『わざわざ立たせておいてなぜ礼をさせないのだ。全員、礼』と号令したら学生たちはいわれるまま礼をし、私も応えて礼をした。

 そうしたら会場の二階の方から拍手が起こった。後に聞いたら二階にいたのは新入生に同伴してきた父兄たちだったそうな。司会の若いアナウンサーが何ゆえに起立させた学生たちに礼をさせなかったのか理解に苦しむ。故にも帰りがけ件(くだん)の女性に注意しておいた。

 『礼』と促した私に拍手した父兄たちにはいくばくの良識があったのかもしれないが、それにしてもあれほど多くの数の父兄が子供の入学式に一緒にやってきているというのは、これまたいささか面妖なことに違いない。

 後に聞いたが、大学の入学式に大勢の父兄が同伴してくるというのは今年になって顕著な傾向だそうで、これまた何かを表象する新しい現象のようだ。

 私の場合には、卒業式の時に母親が自らいい出して紋付きを着て卒業式にやってきた。彼女にいわせると、『お前のような者をよくぞ卒業させていただいた』という感謝のつもりだったそうだが。それにしても入学式に父兄同伴などという現象は皆無だったが。

 思い直してみると、この頃では二十歳になった子供の成人式にも大勢の父兄がつめかけるという。あちこちの成人式でとかく騒ぎが起こるのでその抑止のためともいうが、一人前の大人になったのを祝う式典が、親が付き添わぬと成り立たぬというのも面妖というか滑稽な話だ。かつての時代には、武士の男の子供は十四歳で元服し命がけの仇討ちも含めて一人前の男としての義務を強いられたが、当節ではそれを強いれば人権問題になりかねない。

 私の知己の気鋭な精神病学者、斎藤環氏にいわせれば、学問的にいえば現代日本での成人は、せいぜい三十一歳ということだが。一度その理由を国家としての関心で質(ただ)す必要がありそうだ。

 最近あるテレビの特集でこれまた奇矯(ききょう)な大学生の実態を知らされた。

 『一人で学生食堂にいけぬ学生』という主題で、そんな学生の多くはトイレの中で密(ひそ)かに一人で食事をすますという。その理由は、食堂で一緒に食事する友達がいないと馬鹿にされる、それが恥ずかしい、だからますます孤独になるという悪循環だとか。

 特に新入生はなかなか友達が出来ず、それが進んでいくとひきこもり、閉じこもりとなり、さらには休学、中退ともなるそうな。哀れ、気の毒というよりも馬鹿々々しい話で、こうした現象の根底にあるものは何かと疑いたくなるが、答えは自明で、要するに当節の若者のひ弱さというよりない。

                   ◇

 大衆の中にあっても場合によっては、なぜ堂々と一人切りでいられないのか。家庭から一歩出れば他者とのさまざまな相剋があり得るのであって、そこでの抵抗力を家庭が培わせないからこのざまになる。

 子供の耐性を培うのは親の責任であって、今日多くの親が子供をただ甘やかせ子供に媚びることで実は子供を根本的に損なっているとしかいいようがない。

 帰するところは動物行動学者のコンラッド・ローレンツが説き、この日本においても大きな犠牲を払ってヨットスクールの戸塚宏氏がそれを実証した脳幹論の問題であって、この豊穣(ほうじょう)便利な文明の中でそれに溺れて子供に我慢を強いなかった無責任な親たちが子弟の脳幹を発達させず、基本的にひ弱な『子供大人』を育てたところにある。

 脳幹とは人間が人間として生きて行くために絶対に必要な、外部に対する強い反応を備えるべき部分であって、仮にそれがわずかでも損なわれれば人間は死んでしまう。

 暑さ寒さへの反応に始まり、怒り、悲しみ、愛情、憎しみといった人生に強い衝動をもたらす機能はすべて脳幹に備えられているが、物事に耐えてそれを抑制することで脳幹、即ち人格は鍛えられる。それは子供にとってはある種の苦痛でもあるが、それを強いることでの苦痛を超えることで子供は鍛えられていくのだ。

 ローレンツは、『子供の頃甘やかされ肉体的な苦痛を味合うことのなかった子供は、長じて必ず不幸な人間になる』といっているが、暑ければ冷房、寒ければ暖房、ひもじければふんだんなおやつといった現代文明の与える便宜のいたずらな享受は結局耐性のない、つまり極めて弱い『子供大人』をしか作りださない。

 大学という大人の世界に入ってなお容易に友人が出来ない、人と交われない、ましてや激しい議論も出来ず、本来そうした摩擦が逆にもたらしてくれる厚い友情も獲得できない。それは昨今芸術といういわば自我狂たちの世界においてもいえることで、すでにある名もなしている芸術家たちの間でも激しいポレミックスが影を潜めてしまった。

 加えて現代文明の便宜さは子供たちに過剰な情報を安易に与えてしまう。それは何かのはずみにたわわな実を実らせ過ぎてしまったリンゴの木のようなもので、過剰に情報を収った大脳は肝心の脳幹が育っていないと、強い風が吹くと実りすぎたリンゴの実の重さに耐えかねて幹の細い木そのものが折れてしまう。

 ある識者にいわせれば、脳幹が未発達で情報を感受する感性に乏しい多くの若者は、情報の判断や分析をも他の情報にゆだねてしまうから、自らの判断が出来ない。故に自信も持てない。青春に不可欠絶対必要な、独自の発想を育てるための感違い、思い違いがあり得ない。

 恋愛という人生最大のエベントにおいても、他与的な情報に縋(すが)って自分や相手をランクづけしてしまい果敢な求愛も出来ない。故にも身を焦がすような恋愛もあり得ない。漂白されたようななんとまあつまらぬ青春だろうか。当節の若い男が草食動物化されているという所以もそこにある。

 いくら体裁が良くとも芯が虚弱な若者たちが跋扈(ばっこ)する国家が、強い国家強い民族たり得る訳もない。

 この今になって、私は昔フランスの哲学者レイモン・アロンと、世界中の先進国で学園紛争がたけなわだった頃、若者、学生について交わした会話を思い出す。アロンはシニックに肩をすくめながらいったものだった。

 「私は彼等に同情する。彼等が青春を青春として捉えるための手掛かりを我々はすべて奪ってしまったのだから。第一に戦争。第二は、戦争のもたらす貧困。第三は血反吐(へど)を吐いてでもぶつからなくてはならぬ偉大な思想。ならば彼等は精々、精神生理現象としてああした戦争ごっこをするしかないだろう」と。

 さてこの現代若者たちには、その戦争ごっこもありはしなくなった。

 この国の将来のために、強いしたたかな若者たちを一体どうやって蘇(よみがえ)らせたらいいのだろうか。

(産経ニュース2010.5.3)

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