【櫻井よしこ 菅首相に申す】中露の嘘を逆利用
1956年、鳩山一郎らを相手に北方領土交渉をしたフルシチョフ・ソ連最高会議幹部は、領土問題をこう語っている。
「ロシアの力が弱くて自分の領土を守ることができなかったとき、日本の帝国主義者が力ずくでこれらの島を奪い取った」
にもかかわらず、ソ連指導部が「(歯舞、色丹の)小さな島を与えることに同意すべきだという結論に達した」のは、「島と引き換えに、日本国民から勝ち取る友好関係はきわめて大き」いと判断したからだ(『フルシチョフ 封印されていた証言』草思社)。
フルシチョフの北方領土に関する認識は噴飯(ふんぱん)ものだが、彼は「戦争で粉砕されたにもかかわらず、また原材料を持たないにもかかわらず、このように大きな発展を遂げた」日本に「一抹の悔しさ」を抱くと語るほどに、日本の産業と技術を絶賛していた。それを心の底から渇望していた(同)。対日交渉に応じたのは、日本を米中に接近させず、ソ連側に取り込むためだったとも語っている。
一方、1979年、中国はソ連への警戒感から日本に軍事費をGNPの2%程度まで増やすよう求めた。トウ小平は日本に北方領土奪還を勧め、中国は手助けする旨、語っている。
だがいまや、中露は対日政策を大きく変え、第二次大戦で日本を敵として共闘したとの立場に立つ。昨年9月27日の対日戦勝65周年に関する共同声明では「歴史の歪曲(わいきょく)」や「大戦の結果の見直し」は許さないとして、彼ら自身の歴史の捏造(ねつぞう)を正当化した。1945年、日ソ中立条約を一方的に破棄して満州を軍事侵略し、日本兵60万人余を強制抑留し、北方領土を奪うに至ったソ連の蛮行を、中露共同声明は「中国東北戦線解放」と呼ぶのである。
唾棄(だき)すべき一連の捏造を中露が臆面もなく宣言した背景に、菅直人首相の無気力外交がある。尖閣諸島沖の日本の領海を侵犯した中国人船長を、無条件即時釈放せよと要求した温家宝首相の恫喝(どうかつ)に、菅、仙谷由人両氏が屈した姿を見て、中露は、今の日本なら、北方領土も東シナ海も尖閣も取れると確信したのだ。
では、いま、どう対処すべきか。まず首相自身、落ち着いて考えよ。問題整理せよ。中露が一体となって、日本の主権と国益を脅かす構図を作ったことを認識し、両国の嘘を逆利用せよ。彼らの道義なき言辞を内外に明らかにする世論戦を展開するのだ。世論戦は、中国の得意技で、自国の主張を嘘でも捏造でも構わずに広める教育、広報活動である。日本は中露のように嘘をつく必要はない。ただ、嘘に打ち負かされない気力で、歴史の真実を広めればよい。
そのうえで次の策を考えるのだ。一体、ロシアにどんな将来展望があり、北方領土に起き得る事象は何かを分析するのだ。
◇
ロシアが大国として再生するのは極めて難しい。日本の45倍の国土に住む1億4千万余の人口はすでに減少し始めた。平均寿命は男性58・9歳、女性72・5歳(2006年)で伸び悩む。国土の約3分の1を占める極東ロシアの人口減はさらに著しく、現在、わずか700万の人口が2015年には450万に減る見込みだ。
対照的に、国境の南側に広がる旧満州(遼寧省、吉林省、黒龍江省)には1億人以上の中国人が住む。彼らが労働力として極東ロシアに流入するにつれてすさまじい中国化現象が起きている。今後、さらに顕著になっていくこの現象は、両国関係に必ず負の影響を与えるだろう。中露の対日協調路線は崩れると考えてよいだろう。
極東で勢いを盛り返せないロシアは、北方領土においても同様だと見てよい。彼らはいま、北方領土に中国や韓国の資本を呼び込み、中国人や韓国人労働者を入れようとしているが、結局それは、極東ロシアが中国化するのと同じ結果をもたらしかねず、メドベージェフ大統領やプーチン首相の夢見るロシア繁栄が担保できるとは思えない。だから日本は冷静にその行く末を見ておけばよい。
だが、黙って見ていてはならない。日本国の領土を不法占拠し続け、第三国の経済力や労働力導入で既成事実を積み重ねるのを傍観してはならない。前述の世論戦を常に実行し、ロシア政府に厳重に警告し続けながら、北方領土に資本投下したり技術協力する第三国の企業を日本市場に入れない、あるいは日本の企業との取引を制限、または禁止することなどを考えるのだ。フルシチョフ以来ロシアが渇望してきた日本の技術などは、決して渡してはならない。ここで明確に、国家意志を示すことが、ロシアだけでなく、東シナ海や尖閣諸島を虎視眈々(たんたん)と狙う中国への強い意思表示となる。
菅首相は、昨年秋、中国に膝を屈したことが直接の引き金となって、日本外交最悪の危機が生まれた責任を痛感し、いま打つべき手を打って挽回を試みよ。
だが、所詮、菅首相には、中露相手にこんな大仕事はとてもできないだろう。国益を損ねるばかりの首相の実態はすでにほぼすべての国民が知るところだ。にもかかわらず、氏に替わる政治家が出てこないのが民主党の限界である。国民の政治に対する絶望感は首相一人の無能への絶望を通り越して、民主党全体への不信から生まれていることを、民主党は認識しなければならない。(産経ニュース2011.2.10)
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