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2011年2月11日 (金)

【正論】立命館大学教授 大阪大学名誉教授・加地伸行

■近代国民国家が求めた建国の日

 今日、2月11日は「建国記念の日」である。

 この日に対して、8月15日の場合と同じく、反対派が集会し非難する。その理由はこうである。

 建国記念の日の前身である紀元節(明治5年に制定)は、第一代天皇とされる神武天皇の即位の日をもってそれに当てている。しかし、神武天皇の存在自体が確かであるかどうかは実証されていない。まして即位の日が2月11日ということに実証的根拠がない。そういうあやふやなことでその日を建国の日とするのは、科学的でなく、説得力がない。

 おおむね右のような理由を挙げて反対し、そこから話を広げて、〈建国神話〉は、天皇を中心にし戦前に戻ろうとするものであり、主権在民の今日からは許されないことであるというふうに、左翼陣営のアジ演説に引っ張り込んで、そこから大合唱する。これは戦争への道となる。反対、反対と。

 ◆左翼の非難に説得力はなし

 ご苦労な話である。では、彼らの言う〈実証〉とは一体、どういうものなのであろうか。

 例えば数学の場合、5足す3引く2は、と問えば、答えは必ず6になる。「5足す3」の「足す」ということばは、5と3とを直接に結びつけており、他のことばが入る余地はない。だから、確実に8となる。その後の「引く2」の「引く」も、同じく確実にその8と2との間を結びつけている。このように、一歩一歩と段階を確実につないでいる。これが実証の真の姿である。

 しかし、哲学や歴史や文学といった領域の場合、数学のような確実な積み上げ、各段階のつなぎを直接に結合できるような実証を、論述のすべてにわたって行うことは、ほとんど不可能である。

 ある所から次の所に移るとき、両者を直接に確実に結合するように見せかけて、実は、執筆者が個人的推論によってジャンプしてつなぐのがふつうだからである。

 ただ、その推論が〈より実証的〉であることが求められているにすぎない。そこに在るものは実証めかしていること、すなわち〈実証的〉であるにすぎない。

 にもかかわらず、それを〈実証〉と強弁するのが、例えばマルクス主義者である。彼らは人間世界を搾取する者(権力者・悪)と搾取される者(民衆・善)とに粗っぽく分け、両者の闘争の中で、善が必ず悪に勝つというような、水戸黄門も顔負けの勧善懲悪の紙芝居をまず作り、その話に合う資料だけを選んで貼りつけ、〈実証〉したと称しているのである。

 そういう人々が建国記念の日の実証がないと非難しても、説得力などないのである。

 ◆日本最古の歴史書に寄る辺

 では、なぜ建国記念の日などというものが求められるようになったのか、といえば、それは近・現代が要求したからである。すなわち、近・現代の国家は、国民国家の意識と制度とを持たなければ生き残れない。そこで、その意識を高めるために、自国の歴史に基づいて建国の理由づけをしてきたのである。

 その際、アメリカのような、せいぜい200年余の歴史というような新しい国なら独立宣言の日がはっきりしているので、直ちに建国の記念の日を決められる。

 しかし、日本のように古い歴史を有する国の場合、建国の日など新しく考えざるをえなかった。となれば、自国の最古の歴史書『日本書紀』に基づいて、誇りをもって定めるまでである。その日が事実かどうかというようなことは、国民国家にとって本質的な問題ではないのである。

 例えば、歴史の古い朝鮮民族の場合、自分たちの伝承を尊重し、それに基づき、始祖として熊を置いているではないか。それが事実かどうかというようなことなど、民族としては問題にならないのである。

 ◆先人への礼の心を確かめたい

 それでは、建国記念の日にどう向き合うべきなのであろうか。

 その第一は、なによりも先人に対する敬意である。われわれが日本というすぐれた国家において人生を過ごせるのは、先人たちの大変な苦労と努力の結果があったからである。

 その敬意が感謝の念となり、自国を愛するという、人間としてのしぜんな気持ちを確かめることこそ、建国記念の日における素朴な在りかたではなかろうか。

 そうした敬意の表現、それを東北アジアでは「礼」と称したのである。先人への礼、皇室への礼、日本国民相互における礼-これは東北アジア特有、とりわけ日本ではそれが重んじられ、今日に至っている。

 では、国家はどうあるべきであろうか。国家は国民以上に礼を尽くすべきであろう。「国(に、もし)礼なければ正しからず」(『荀子』王覇篇)と、すでに喝破されているではないか。

 政権担当者こそ、建国記念の日を尊重すべきなのである。『春秋左氏伝(襄公二十一年)』に曰(いわ)く、「礼を怠れば、政(まつりごと)を失う」と。(産経ニュース2011.2.11)

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