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2011年3月 6日 (日)

甲子園スマイルの元祖 涙のベンチ入りを思いだす

 甲子園スマイルの元祖だった。今でこそ高校野球も「楽しむもの」という考えは当たり前だが、1970年代は真剣勝負のグラウンドで笑うことなど許されなかった。だから、尾藤さんが甲子園でいつもにこにこしながら指揮を取る様子を初めて見た人はみんな驚いた。

 「箕島の練習は、そのころは本当に厳しかった。だから試合になってまで厳しい顔はしたくなかった。やるだけの練習はすべてやってきたんだ、胸を張って戦ってこいよ、という気持ちが知らないうちにスマイルになったと思う」

 スマイルで積み重ねた甲子園通算35勝。ハイライトはもちろん、79年夏の3回戦で延長18回を戦った星稜(石川)戦だ。

 1-1で延長戦に入り十二回、先攻の星稜が1点を奪うとその裏二死無走者で島田宗彦(のち阪神)が同点本塁打。十六回にも1点リードされたが、その裏の2死後、森川康弘が打ち上げた邪飛を星稜の一塁手加藤直樹が転倒して捕り損ね、直後に森川が再度追いつく同点本塁打。「心の中では何度も負けたかなと思った。それを普段長打のほとんどない森川が土壇場にホームランで同点にしてしまう。あの試合ほど、高校野球の奥深さを実感した試合はなかった」。

 2010年9月23日、その箕島-星稜戦のOB戦が甲子園で行われ、尾藤さんもユニホーム姿で参加した。

 04年から前立腺や食道のがんで入退院を繰り返していた尾藤さん。がんは骨盤にも転移し、腰の痛みで「立っているのもつらい」状態でずっと車いすを使っていた。ところがベンチの前まで来ると車いすから立ち上がり、つえをついてベンチへの階段を上がり始めた。一歩一歩、よろけながらも精いっぱい胸を張って上っていく。すっかり小さくなった尾藤さんの背中越しに甲子園のグラウンドとスコアボードが見えた瞬間は、本当に胸がいっぱいになった。

 「ここは心のふるさと。元気をもらえた」

 インタビューに尾藤さんは涙を流しながら答えた。取材陣もみんな泣いていた。

 甲子園と高校野球を心から愛した尾藤さん。天国からいつまでも聖地のグラウンドと球児たちを見守っていてください。(産経ニュース2011.3.6)

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 印象に残る名監督だった。

 野球が本当に好きなんだなと感じさせる監督だった。

 また昭和が消えていく。

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