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2011年3月20日 (日)

【産経抄】3月20日

 死者・行方不明者10万人あまりを出した関東大震災は政治的には間が悪い、というより最悪のときに起きた。大正12年8月末、首相の加藤友三郎が急死、28日に山本権兵衛が後任に指名された。ところがゴタゴタで組閣もできないうちに9月1日の大地震に見舞われたのだ。

 ▼つまり日本の首都が壊滅的打撃を受けたとき事実上内閣が不在だったのである。それでも発生から2時間後の午後2時、官邸で臨時閣議を開いている。翌2日には臨時救護費の即時支出を決定するなど、あわただしく救援や復興に乗り出す。

 ▼新閣僚の中でも出色の動きを見せたのが内務相の後藤新平だった。何と地震の5日後には「帝都復興の議」を提案、帝都復興院を設置し、自ら兼任で総裁に就く。ここに内務省から優秀なスタッフを引き抜き、猛烈なスピードで復興案を練り上げる。

 ▼後藤は恐らく近代日本では最も優れた行政官だった。台湾総督府の民政長官として台湾統治を軌道に乗せ、初代の満鉄総裁となってその礎(いしずえ)を築いた。言うことが気宇壮大で「大風呂敷」とのあだ名もあったが、国民からの人気は抜群だった。

 ▼その帝都復興案は100メートル道路など東京を欧米の最新都市のように造り変えるものだった。国家予算が15億円ほどの時代に40億円はかかるといわれ、議会の猛反発を受け、最後は大幅縮小される。だがその前向きな案は、後藤の人気とも合わせ被災者に大きな希望を与えた。

 ▼今回の大震災でも菅直人政権は、復興も視野に閣僚増や野党からの入閣を求めている。だがその前に17人もいる現閣僚の中に後藤のように「オレに任せろ」という人はいないのか。任せられる人材も乏しいとすればこれはまた悲劇だ。

(産経ニュース2011.3.20)

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