大震災で示された「新しい日本」への道~「震災への対応で示された団結などは、本来の日本文化に基づいた新しい目的意識を持つ日本の登場さえ予測させる」~
■1.東日本大震災のもたらした「不条理の世界」
とある国で開かれたディナー・パーティーでのこと、10人ほどの円卓に各国からの客が並んでいた。各自の自己紹介から会話が始まったが、私が日本から来たというと、当然、大震災の話になった。
皆が心から同情してくれたのは有り難かったが、そのうちに一人の中年女性が深刻な表情で自分の体験を話し出した。その女性はユーゴスラビア出身で、自分の友人や親類が大勢虐殺される中で、なんとかアメリカに脱出したという。
東日本大震災の惨状をテレビで見て、自らの悲惨な体験を思い出したそうだ。私は「日本の震災とユーゴ内戦での虐殺とは、まるで違うのではないか」と思いながら聞いていたが、「待てよ」と思った。
犠牲になった人の立場に立てば、内戦・民族浄化という「人災」と、地震・津波という「天災」の違いなど関係ない。ある日突然、罪もない何千、何万人もの人々が、何の理由もなく命を奪われるという「不条理さ」においては、同じではないか。彼女が体験したのは、そんな「不条理」が支配する世界なのだ。
同様に東日本大震災は、昨日まで「安全と水はタダ」だった日本とは全く違った「不条理の世界」を突然、もたらしたのである。
■2.地震発生4分後に自衛隊8千人出動
たとえば、被災地で支援活動を展開している自衛隊員たちは、子供の遺体を抱きかかえて運ぶこともあるが、同じ年格好の子供をもつ自衛隊員には、これが一番こたえる、という。
いたいけな子どもがなぜ突然、生命を奪われなくてはならないのか。まさに「不条理」の極みである。
そんな思いまでしながら、10万人規模の自衛隊員が「食事といえば乾パンと缶詰だけ」というような被災者と同様の過酷な生活を送りながら、不条理から国民の生命と安全を護るべく救援活動に取り組んでくれている。
震災後1ヶ月での支援状況が、4月14日付け日経新聞にまとめられている。それによると:
・人員・・・・・10万7千人
・艦船・・・・・57隻
・航空機・・・・543機
という展開規模により、次のような被災地支援が行われている。
・人命救助・・・1万9260人
・医官診療・・・1万8200人
・給食支援・・・232万7500食
・入浴支援・・・26万5100人
・遺体収容・・・8512体
・道路復旧・・・290キロメートル
その実際の様子を、自ら医療派遣チームの一員として宮城県石巻市で治療にあたった茂木定之医師が、「被災地で見た自衛隊の活動」と題して、次のように投書している。
・・・特に印象に残ったのは自衛隊員の活動だ。黙々と食糧や資材を運び、土煙の舞う中で道路整備やがれきの撤去をしていた。泥水に胸までつかり行方不明者の捜索をしている姿も見た。
われわれもできる限りの医療活動をしてきたつもりであるが、彼らの活動には頭が下がる思いだった。・・・
まさに地震、津波、その後の飢餓、伝染病、さらには放射能汚染などの「不条理」と戦って、国民の生命と安全を護っているのが自衛隊なのである。
こう考えれば、冒頭のユーゴの女性に言ってやれば良かったと、今さらながら思う。あなたの国の軍隊は十分にあなた方住民を護ってくれなかったようだが、我が国にはこれほど一途に国民を護ってくれている自衛隊があるのだと。
■3.「反自衛隊」から「自衛隊頼みのパフォーマンス」へ
今回の自衛隊の迅速な展開ぶりにも、その一途さが現れている。防衛省は地震発生の4分後、2時50分には災害対策本部を設置し、陸海空3自衛隊計8千人を出動を命じた。この驚くべき迅速さは日頃の準備と訓練の賜物だろう。
阪神大震災の時は、反自衛隊感情の強い関西の自治体が自衛隊への出動要請をためらって、結局、要請が出たのが、震災発生後、4時間以上も経ってからだった。
国土庁防災局が開催した外国特派員向けの記者会見で、地方自治体の対応遅れに対し、政府としてもっと手を打てなかったのかという質問に、担当課長は「自治体の意思を圧殺するのは、戦前の軍国主義復活を求めているように聞こえる」と答えた。
「何千人も死んでいるのにそれでいいのか」という外人記者の声に「私は評論家の相手をしているヒマはない」と怒鳴りつけて、席を立ってしまったという。
さすがに阪神大震災での自衛隊の活躍ぶりから、行政においてもこのような「反自衛隊」的姿勢は陰を潜めたが、今回は逆に政治的パフォーマンスとして自衛隊を利用するという傾向が見られた。
たとえば菅首相は出動人員を当初の2万人から、翌日12日には5万人に拡大すると発表、さらに13日夜には10万人に倍増させると言った。相次ぐ唐突な増員発表について、官邸から防衛省への打診はなかったという。単に派遣人員の数だけでアピールしようという思いつき的なパフォーマンスとしか受け取れない。
しかし、それにも関わらず、自衛隊は首都圏での震災に備え、陸自だけで7万5千人から8万人を集める準備をしていたので、見事に即応できた。
阪神大震災の時に、危機管理の専門家である佐々敦行氏が、「備えあれば憂いなし」をひっくりかえして、「憂いなければ備えなし」と見事な表現をしていたが、今回の菅首相の振る舞いにも、同じことが言えるだろう。
「反自衛隊」から、「自衛隊頼みのパフォーマンス」に姿勢は変わったが、襲いかかる不条理に対しての「憂いなければ備えなし」という本質においては、変わりない。
■4.米軍に対する感謝の握手
今回の震災では、自衛隊と米軍が本格的な共同活動を行った点も見逃せない。米海軍の原子力空母「ロナルド・レーガン」は13日に仙台湾沖に到着し、海上自衛隊第一護衛隊群などと共同で、被災地への物資補給を行った。
たとえば同空母のヘリコプターは、海自の補給艦「ときわ」が輸送してきた非常食糧3万食を宮城県気仙沼市の五右衛門ケ原運動場など3カ所に運搬した。
このような形で動員されたのは、米軍兵士1万6千人、艦艇13隻、航空機133機にのぼる。
4月7日付け産経新聞は、被災者たちが米兵に握手を求めている写真を掲載し、「宮城県気仙沼市の離島、大島でがれき撤去作業を終えた米海兵隊員たちに住民が駆け寄り、感謝の気持ちを込めて次々と握手を求めた」とのキャプションを添えている。
こうした姿がテレビや新聞に報道されて、米軍基地問題を抱える沖縄でも、海兵隊に対する共感の輪が広がっている。
名護市辺野古キャンプ近隣に住む自営業者(63)は「若い海兵隊が物資を届けると言って出動した。何十年も海兵隊と付き合っているが、改めて頼りになると感じた。
那覇市のあるホテル幹部(45)も、「他国で起きた震災の支援に奔走している姿を見て、沖縄に駐留していてよかったと実感した。今回の震災で紛争解決だけでなく、天災対応も含めた新しい日米安保の必要性を感じた。米軍基地を抱えている沖縄から新しい防衛論を発信すべきだ」と語気を強めた。
■5.米軍の支援活動は「不謹慎」!?
米軍の活躍に慌てているのが、「反米」に凝り固まった地元紙である。米軍の救援活動はほとんど報じずに、逆にこんな論調を展開している。
一方で、「新報」は3月17日付け朝刊で、「在沖海兵隊が震災支援 普天間の有用性強調 県内移設理解狙い 不謹慎批判上がる」との見出しで、在日米軍が普天間飛行場の地理的優位性や在沖海兵隊の存在感などをアピールしているとした上で、「援助活動を利用し、県内移設への理解を日本国内で深めようとする姿勢が色濃くにじむ」と主張した。
米軍が今回の支援活動でその存在感をアピールしようとしたことは当然あるだろう。しかし、それを「不謹慎」というなら、被災者はどうなっても良いから、そんな支援活動のアピールをすべきではないと言うのだろうか。
米軍の思惑が何であれ、まずは被災した我が同胞を一人でも多く救ってくれたことに感謝するのが、日本国民としての自然の情であろう。その人情を失っている処に、左翼論者の非人間性が垣間見える。
そもそも国家間の同盟が成り立つには、お互いが相手の存在価値を認識していなければならない。米国は沖縄での基地継続に国益がかかっているからこそ、今回の支援活動で日本国民にアピールするのは当然なのだ。
我が国としても、米国が手を引けば、すぐに中国が手を伸ばしてくるのは火を見るよりも明らかなのだから、こういう時にこそ、日本政府は、中国の前で、日米同盟の緊密さを誇示すべきなのである。
今回、自衛隊と米軍が緊密な連携作戦を展開したのは、軍拡に狂奔する中国への抑止力となる。これも「備えあれば憂いなし」の一つである。
■6.「国民の生活が第一。」という虚構
「憂いなければ備えなし」というのは、民主党政権の本質であった。平成21(2009)年の衆議院議員選挙で政権交代を果たした時のスローガンが「国民の生活が第一。」であった。
当時のマニフェストには、「子ども手当」「公立高校の実質無料化」「年金制度の改革」「医療・介護の再生」などの公約が並び、まさに「国民の生活が第一。」のスローガンそのものであった。
ここには「自衛隊」は登場せず、米軍に対しても「地位協定の見直し」とか「米軍再編」などと「厄介者扱い」である。
「国民の生活が第一。」というスローガンの中には、国民の生活が天災や他国からの侵略に脅かされている、という「憂い」はない。「安全と水はタダ」という信仰の上で、先人たちが苦労して築き上げた国富をばらまいて、票を買おう、という発想でしかない。
鳩山前首相は「昨年の衆院選当時は、海兵隊が抑止力として沖縄に存在しなければならないとは思っていなかった。学べば 学ぶほど(海兵隊の各部隊が)連携し抑止力を維持していることが分かった」などと語ったが、20年以上も国会議員を務めながら、こんな基本も学んでいなかったというのだから、まさに「憂いなければ備えなし」を地で行く人物であった。
今年になって、この抑止力発言を方便だったと発言して、またまた日本中を呆れさせたが、国民の生命と安全をまともには考えていない人物なのである。
さらに仙石前官房長官は自衛隊を「暴力装置」と形容して、世間を驚かせた。自民党からの抗議ですぐに撤回したが、全学連世代の左翼的世界観の持ち主であったことが露呈した。
■7.「本来の日本文化に基づいた新しい日本の登場」
国家の根本的な役割は、国民の生命と安全を護ることである。戦後の半世紀以上もの間、日米同盟に護られた温室の中で、日本国民はこの点を忘れ去っていた。
現行憲法の前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という虚構を信じ込み、その上で「憂い」を忘れ「備え」を蔑(ないがし)ろにしてきた。
その行き着いた先が「生活が第一。」という民主党政権の誕生である。東日本大震災は、「子ども手当」などというバラマキ政治の虚構をあきらかにした。子供たちの生命と安全を守れずして、何が「子ども手当」か。
今回の震災に関して、日本の文化や社会を専門とする米国ジョージタウン大学のケビン・ドーク教授は、こう述べている。
日本国民が自制や自己犠牲の精神で震災に対応した様子は広い意味での日本の文化を痛感させられた。日本の文化も伝統も米軍の占領政策などにより、かなり変えられたのではないかと思いがちだったが、文化の核の部分は変わらないのだと思わされた。
ドーク教授は、その上で「震災への対応で示された団結などは、本来の日本文化に基づいた新しい目的意識を持つ日本の登場さえ予測させる」と論評した。
今回の震災で示された自制や自己犠牲の精神を、一過性のものにしてはならない。それを覆い隠してきた戦後の虚構から目覚め、国民一人一人が、互いのため、国家公共のために何事かをなそうという「本来の日本文化」に基づいた志を持たなければならない。
今回の大震災で、自衛隊諸士が見せてくれた活動は、そのお手本なのである。
(文責:伊勢雅臣)
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