2019年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック

プロ野球データFreak
セリーグ順位表
パリーグ順位表

大阪の税理士が送る阪神

« 静岡の新茶 | トップページ | また・・・ »

2011年5月12日 (木)

【東日本大震災】88年前の復興院、後藤新平が主導 問われるトップの力量

 東日本大震災からの復興に向け与野党で「復興庁」や「復興院」を創設する構想が浮上している。モデルは88年前の関東大震災で復興計画を立案した「帝都復興院」。総裁は後藤新平(1857~1929)だ。ただ復興院が機能したのは、組織もさることながら、力量ある後藤という政治家の存在があったからのようだ。

 大正12(1923)年9月1日昼の関東大震災で東京には焼け野原が広がった。死者・行方不明者は10万5千人以上。震災被害も収まらない2日夜に山本権兵衛内閣が発足し、救援と復興の責任者となったのが内務相の後藤だ。

 教訓に富むのは、後藤がすぐに明確な方針を打ち出したことだ。内相就任の2日夜、帰宅した後藤はただちに机に向かって復興根本策を書き上げた。そこには「遷都はしない」「復興費は30億円」の項目とともに東京の改造が宣言されていた。

 「区画整理を伴う新都市計画実施のため地主に断固たる態度をとる」。復興のためには決断が重要という後藤の考えがみえる。

 後藤の大胆さは「復旧」ではなく「復興」を掲げたことからもわかる。12日には、「復興」を掲げた詔書が発せられた。

 スピードも際だった。復興院発足(27日)は震災から1カ月かからなかった。

 復興院は、震災で再び大きな災禍を受けないよう東京を改造し近代的な首都を造ることを目指した。震災で焼けた下町地区に大規模な区画整理を施す。昭和通りや永代通りなどの幹線道路、歩道や公園、鉄筋コンクリートの小学校、同潤会アパートの整備も描いた。

 後藤は医師出身で衛生行政に詳しく、都市建設のエキスパートだった。台湾総督府民政長官や南満洲鉄道初代総裁、東京市長、閣僚を歴任した後藤。構想が大きく「大風呂敷」とも呼ばれたが、政官財界に「後藤派」と呼ばれる人脈が広がっていた。

 後藤の人脈も復興院を支えた。復興院建築局長は耐震論の権威で東京帝大教授の佐野利器(としかた)、経理局長には戦後国鉄総裁として新幹線を推進することになる十河(そごう)信二を起用。実力派の官僚、専門家を集めた。

 復興院の計画をもとに政府は大正12年12月に復興予算を提出。衆院で多数派だった野党政友会が削減したものの復興予算は成立し、同年末から、東京市などの協力で復興事業が始動した。永田町では今、復興院論議が進むが、後藤のような人物がいるかどうかが問題だ。

《帝都復興院の流れ》

【大正12年(1923年)】

8月24日 加藤友三郎首相死去、内田康哉外相が首相臨時代理

28日 山本権兵衛元首相に組閣の大命降下

9月1日昼 関東大震災

2日 内田康哉職務執行内閣が戒厳令・臨時非常徴発令を布告、臨時震災救護事務局を設置

2日夜 山本権兵衛内閣成立。後藤新平内相が「復興根本策」起案

6日 後藤内相、特設官庁の設立求める「帝都復興の議」を閣議へ提出

12日 「帝都復興の詔書」、復旧ではなく復興との方針示す

19日 帝都復興審議会(総裁・山本首相)設立

27日 帝都復興院(総裁・後藤内相)設置

11月24日 復興審議会へ復興計画(計7億円)提示、削減論出る

12月10日 復興予算案(計5億7千万円)を臨時議会へ提出

23日 復興予算の政友会修正案(計4億6千万円)が成立

27日 虎ノ門事件(摂政宮=後の昭和天皇に対する狙撃事件)

29日 山本内閣総辞職

【13年(1924年)】

1月7日 清浦奎吾内閣成立

2月25日 帝都復興院廃止、内務省復興局が事業を引き継ぐ

【昭和4年(1929年)】

4月13日 後藤新平死去

【5年(1930年)】

3月26日 帝都復興完成記念式典

(産経ニュース2011.3.28)

============================

 歴史から何を学ぶか。

 こんなにも凄い政治家がこれまでの日本を作った。

 官僚ではない、そう政治家が国の目標、方向をどう示すかが

問われている。

Plc11032823000022n1

« 静岡の新茶 | トップページ | また・・・ »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

日本・日本人」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« 静岡の新茶 | トップページ | また・・・ »