【主張】寛仁さまご逝去 伝統守り国民に愛された
三笠宮家のご長男、寛仁(ともひと)親王殿下が亡くなられた。長年、がんなどで入退院を繰り返し、その都度、奇跡ともいえる回復力を示したが、とうとう力尽きてしまわれた。
平成14年には殿下の弟の高円宮憲仁(たかまどのみやのりひと)さまが亡くなっている。皇室は、天皇、皇后両陛下や皇太子さまの良き相談相手をまたひとり失ったわけで、その痛手は計り知れない。謹んで哀悼の誠をささげたい。
寛仁さまは天皇陛下の従弟(いとこ)にあたられる。初の戦後生まれの皇族であり、殿下の中には皇室の伝統と戦後日本の文化とが同居していたといえる。
スキーをはじめとするスポーツマンで、札幌五輪組織委員会事務局に勤務、サラリーマン生活も経験された。ラジオ番組に出演されたこともあった。その意味では極めて現代的な皇族であり、国民からは親しみをこめて「ヒゲの殿下」と呼ばれた。
一方で、天皇や皇室の歴史、伝統に深い理解を示されていた。17年、皇室典範改正に向けた政府の有識者会議が女性や女系の天皇も認める報告書をまとめたとき、これに異議を唱えられた。天皇が一度の例外もなく男系で受け継がれてきたことを指摘し、元皇族の皇籍復帰など男系維持のための方策を提起されたのだ。
皇族ご自身が発言されたことに宮内庁幹部が懸念を示し、一部マスコミから批判された。しかし皇室とその伝統を守るため、不退転の決意で筋を通されたと拝察したい。改正案はその後、秋篠宮家に悠仁(ひさひと)親王が誕生されたこともあって、国会提出をみなかった。
天皇陛下と皇太子さまや秋篠宮さまとの中間にあたる世代で、見識にも富んだかけがえのない皇族のおひとりだったといえる。
そうでなくとも戦後には、GHQ(連合国軍総司令部)の意向で11もの宮家の人々が民間人となった。その結果、男子の皇位継承者が極めて少なくなり、公務が天皇陛下や皇太子さまに集中し過ぎる問題も生じている。
昨年3月の東日本大震災で、国民は皇族方による被災地ご訪問で勇気づけられた。この国が、長く皇室をいただいている幸福を再認識したはずだ。
今こそ国民は、寛仁さまご逝去という悲しみを乗り越え、皇室の良き伝統を維持し、その興隆をはかってゆくことを決意したい。
(産経ニュース2012.6.7)
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