2021年4月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

最近のトラックバック

プロ野球データFreak
セリーグ順位表
パリーグ順位表

大阪の税理士が送る阪神

« 今年9回目のラウンド(藤岡GC東) | トップページ | ムンバイ 神楽坂 »

2014年3月17日 (月)

さよなら不屈の魂 小野田さんお別れの会 若者ら2000人 戦友と再会誓った「靖国」で

 終戦を信じずにフィリピン・ルバング島に約30年とどまった元陸軍少尉、小野田寛郎(ひろお)さんのお別れの会が12日、東京都千代田区で開かれた。場所は、戦友たちと再会を誓った靖国神社の啓照館。「靖国神社を思う気持ちに何の罪があるのでしょう」。小野田さんは生前、こう話していたという。その人柄をしのび、交流のあった人たちや戦争を知らない若者ら約2千人が参列し、冥福を祈った。

 「『生きて会えないならば、靖国神社で会おうと仲間と約束して別れた』と、小野田はよく話していました。今日はお仲間たちも見守ってくれているのではないかしら」

 妻の町枝さん(76)は白菊や季節の花々で飾られた祭壇を見上げた。1月16日に91歳で亡くなった小野田さん。遺影の笑顔が参列者を見守っていた。

 靖国神社で軍歌を歌う集いにも参加していた小野田さんの思いをくみ、この日は境内の一角に、小野田さんが帰還した当時の写真なども展示された。

 子供たちに自然の中で生き抜くたくましさを身につけさせようと、運営していた「小野田自然塾」。理事を務める徳宿(とくしゅく)恭男(やすお)さん(76)は交流が始まった40年前を懐かしみ、「どんな困難にも決して屈しない不撓(ふとう)不屈の精神を持つ人を失った」と涙を拭った。

 奇跡の生還から数カ月たった昭和49年夏の夜10時過ぎ、警視庁広報課長を務めていた徳宿さんの自宅に、小野田さんが突然訪ねてきたことがあった。

 警視庁機動隊がルバング島での捜索を行っていたため、お礼をしたいという相談だった。話は日本社会の変化に及び、一晩中語り明かした。小野田さんは「古びた衣服を繕うのに、ジャングルの中で針一本からつくる生活をしていました。どんなに日本の社会が変わっても生きていける自信はあります」と毅然(きぜん)とした表情で答えたという。

 「唯一苦しんだとすれば、国民と靖国神社との関係の変化だったのではないか」と徳宿さんは話す。

 帰国当時、田中角栄首相から贈られた見舞金を靖国神社に奉納した小野田さんは「軍国主義の権化」などと誹謗(ひぼう)中傷にさらされた。「仲間との約束の地である靖国神社を思う気持ちに、何の罪があるのでしょうか」。小野田さんの寂しげな横顔を、今も鮮明に覚えている。そう語った数カ月後、小野田さんは新天地を求め、ブラジルに渡った。

 お別れの会には、元航空幕僚長の田母神(たもがみ)俊雄さん(65)や、テレビドラマで小野田少尉役を演じた俳優の中村獅童(しどう)さん(41)らも参列した。

 東京都中野区の八児(やちご)雄三郎さん(88)は「戦後抜け殻のようになっていた私の精神に、もう一度生き抜いてみせると自信を取り戻させてくれた人だった」と話した。戦争を知らない20~30代の若い参列者も多く、東京都文京区の大学2年、河内(かわち)徹さん(21)は「亡くなったニュースで初めて小野田さんのことを知った。戦争で大変な思いをした人々への感謝を忘れずに生活したい」と静かに手を合わせた。

Trd14031222000014p1

(産経ニュース2014.3.12)

« 今年9回目のラウンド(藤岡GC東) | トップページ | ムンバイ 神楽坂 »

歴史」カテゴリの記事

日本・日本人」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 今年9回目のラウンド(藤岡GC東) | トップページ | ムンバイ 神楽坂 »