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2014年12月29日 (月)

「反省なければ復活難しい」…京セラ創業者の稲盛氏がパナソニック社内報で喝、“幸之助離れ”を憂う

 

 京セラ創業者で名誉会長の稲盛和夫氏がパナソニック社内報への寄稿で同社の経営を批判し、波紋を広げている。パナソニックが創業者、松下幸之助氏の経営哲学から近年は遠ざかっていたとして猛省を促した内容だ。外部からの社内報を通じた経営批判は異例で、パナソニック社員らに困惑もあるが、幸之助氏への恩義からの“稲盛流”の叱咤激励といえそうだ。

 稲盛氏は「私に残る松下幸之助」をテーマにパナソニックの社内報に寄稿。この中で、同社が平成13年から25年までの間、事業部制を廃止していたことについて、「なくした経緯を猛烈に反省することです。そうしなければ真の復活は難しいでしょう」とつづった。

 事業部制は事業分野ごとに開発や営業を管理する組織形態で「経営の神様」と呼ばれた幸之助氏の代名詞ともいえる経営施策。事業部が増えすぎて製品が重複するなど非効率になったとの判断から廃止されたが、現経営陣が経営立て直しのためにと復活させた。

 京セラは事業部制を参考にしたとされる「アメーバ経営」を実践。会社組織を小集団に分けリーダーを育てる取り組みで、稲盛氏には京セラを成長させたとの自負もあり、近年のパナソニックの「幸之助離れ」を憂えていたとみられる。

 稲盛氏にとって幸之助氏の存在は特別だ。昭和34年に京都セラミツク(現京セラ)を創業したきっかけは、松下電器産業(現パナソニック)のテレビ用にセラミック製の絶縁部品を納入したことだった。稲盛氏は当時から幸之助氏を慕い、寄稿でも「著書を何冊も読み、講演も聴かせてもらった」としている。

 パナソニックは一時社内報を電子化したが、今年11月に冊子としても復活。その第1弾は幸之助氏の特集が組まれ、パナソニックによると、稲盛氏と幸之助氏は雑誌で対談するなど親交があったことから稲盛氏に寄稿を依頼したという。

 稲盛氏の批判に社内では困惑もあるが、ある社員は「事業部制が復活し再建も緒に就いたことで、ここまで強くお書きになれたのでは」と、今だからこそ掲載できた内容だとみている。

(産経ニュース2014.12.29)

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