【産経抄】柔道一直線 1月21日
「地獄に突き落とされてはそこからまた這(は)い上がる、まさしくその繰り返しだった」。きのう訃報が届いた斉藤仁(ひとし)さんは、自らの柔道人生を振り返って、著書にこう記している(『常勝力』)。最初の試練は、青森市内の中学校で柔道を始めて3年目に訪れる。柔道部の顧問の先生が転出して、廃部を言い渡されたのだ。
▼斉藤さんたちは、新しい顧問の先生を見つけたものの、柔道の経験はまったくない。『柔道入門』の本を頼りに、稽古に励む毎日だった。基本が身につかないというマイナスはあった。ただ、それ以上に大切な、自分で創意工夫して、能動的に物事に取り組む姿勢を学んだという。
▼国士舘大学1年のとき、すでに日本柔道界のエースだった山下泰裕さんに善戦して、「ポスト山下」として名乗りを上げる。もっとも山下さんには、何度挑戦してもはね返された。そのくやしさをバネにして、1984年のロサンゼルス五輪で金メダルを獲得する。
▼その後は度重なるケガに苦しんだ。「引退」の危機を乗り越えつかんだのが、88年のソウル五輪の金メダルだった。表彰式で号泣する姿は、五輪の名シーンのひとつであろう。
▼ここ数年、斉藤さんは、いや柔道界全体が地獄の苦しみにあえいできた。斉藤さんの教え子でもある五輪2連覇の内柴正人受刑者は、泥酔した教え子に乱暴した罪で、獄中にある。北京五輪金メダルの石井慧(さとし)さんは、日本柔道界を去った。
▼斉藤さんは全柔連の強化委員長として、ロンドン五輪で金メダル0の惨敗を喫した男子柔道の立て直しに取り組んでいた。病魔に襲われたのは、その最中である。次男の立(たつる)君も、柔道の有望選手だという。18歳で迎える東京五輪での活躍を、楽しみにしていたはずだ。
(産経ニュース2015.1.21)
« 賢国への道~もう愚かではいられない~(中西輝政著) | トップページ | 【主張】邦人人質脅迫 テロに屈してはならない »
「プロレス・相撲・格闘技」カテゴリの記事
- 2月20日は・・・(2015.02.20)
- 【産経抄】柔道一直線 1月21日(2015.01.21)
- 大相撲 横綱白鵬翔関(29) 大鵬に並ぶ32度目V「恩返しできたかな」(2014.11.24)
- 白鵬が歴代3位の29度目優勝、稀勢は及ばず(2014.05.28)
- 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(増田俊也著)(2014.05.14)
「日本・日本人」カテゴリの記事
- 属国の銃弾(永瀬隼介著)(2022.06.23)
- 6月10日:本家北海道移住(2022.06.10)
- 田中角栄の昭和(保阪正康著)(2022.06.08)
- 4月23日:岩田守耕先生ご命日(2022.04.23)
- 庶民の日本史 ねずさんが描く「よろこびあふれる楽しい国」の人々の物語(小名木善行著)(2022.04.15)
« 賢国への道~もう愚かではいられない~(中西輝政著) | トップページ | 【主張】邦人人質脅迫 テロに屈してはならない »
コメント