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プロレス・相撲・格闘技

2022年11月 4日 (金)

プロレススーパースター列伝 夢の英雄! タイガーマスク編(梶原一騎原作、原田久仁信作画)

1980年代当初に活躍していた実在プロレスラーを題材としたマンガ『プロレススーパースター列伝』のなかでも、1981年に鮮烈なデビューを果たし、少年たちをテレビに釘付けにした「初代タイガーマスク」編は、当時からその正体についてさまざまなエピソードを描いていました。しかし、夢中になった当時の読者には衝撃の事実が待ち受けていていました。

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2022年10月 1日 (土)

10/1:アントニオ猪木逝く

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あなたに何度励まされただろうか。

燃える闘魂 アントニオ猪木

ありがとう!

感謝!

合掌!

2015年2月20日 (金)

2月20日は・・・

 長嶋茂雄

 アントニオ猪木

 の誕生日なんだよな・・・

2015年1月21日 (水)

【産経抄】柔道一直線 1月21日

 

「地獄に突き落とされてはそこからまた這(は)い上がる、まさしくその繰り返しだった」。きのう訃報が届いた斉藤仁(ひとし)さんは、自らの柔道人生を振り返って、著書にこう記している(『常勝力』)。最初の試練は、青森市内の中学校で柔道を始めて3年目に訪れる。柔道部の顧問の先生が転出して、廃部を言い渡されたのだ。

 ▼斉藤さんたちは、新しい顧問の先生を見つけたものの、柔道の経験はまったくない。『柔道入門』の本を頼りに、稽古に励む毎日だった。基本が身につかないというマイナスはあった。ただ、それ以上に大切な、自分で創意工夫して、能動的に物事に取り組む姿勢を学んだという。

 ▼国士舘大学1年のとき、すでに日本柔道界のエースだった山下泰裕さんに善戦して、「ポスト山下」として名乗りを上げる。もっとも山下さんには、何度挑戦してもはね返された。そのくやしさをバネにして、1984年のロサンゼルス五輪で金メダルを獲得する。

 ▼その後は度重なるケガに苦しんだ。「引退」の危機を乗り越えつかんだのが、88年のソウル五輪の金メダルだった。表彰式で号泣する姿は、五輪の名シーンのひとつであろう。

 ▼ここ数年、斉藤さんは、いや柔道界全体が地獄の苦しみにあえいできた。斉藤さんの教え子でもある五輪2連覇の内柴正人受刑者は、泥酔した教え子に乱暴した罪で、獄中にある。北京五輪金メダルの石井慧(さとし)さんは、日本柔道界を去った。

 ▼斉藤さんは全柔連の強化委員長として、ロンドン五輪で金メダル0の惨敗を喫した男子柔道の立て直しに取り組んでいた。病魔に襲われたのは、その最中である。次男の立(たつる)君も、柔道の有望選手だという。18歳で迎える東京五輪での活躍を、楽しみにしていたはずだ。

(産経ニュース2015.1.21)

2014年11月24日 (月)

大相撲 横綱白鵬翔関(29) 大鵬に並ぶ32度目V「恩返しできたかな」

 

 「14年前は62キロの小さい少年がここまで来るとは、誰も想像しなかったと思う」。大鵬の持つ史上最多32度優勝。角界に燦然(さんぜん)と輝く偉大な記録へついに肩を並べた。花道から引き揚げるとき、涙をこらえきれなかった。

 それほどまでに思い入れのある記録だった。モンゴルから来た白鵬をいつもかわいがってくれた元横綱大鵬の納谷幸喜氏は「角界の父」。生前に教わったのが最高位としての覚悟だ。

 7年前の横綱昇進時。「横綱になったときには引退することを考えろ」と言われ「怖かった」。年齢を重ねれば、力の衰えは避けられない。追ってくる後輩もいる。綱を張る者は勝てなくなれば、自ら土俵を去るしかないことを再認識した。贈られた言葉は今でも胸に刻まれている。

 昨年1月の初場所中。納谷氏が亡くなる2日前だった。見舞いに訪れ「優勝32回に一つでも二つでも近づけるように精進します」と話しかけると、「しっかりやれよ」と言われた。交わした“約束”が大記録を目指す背中を押してくれた。

 相撲の取り口は泰然自若ぶりが目立つが、心の内は違う。優勝回数で大台に乗せようとしていた頃に「いやあ、怖いね。簡単に30回優勝したいとか。優勝とか1位になるのは大変だよ」と漏らした。

 最高位に就いたときからずっと向き合ってきた“恐怖心”は、より強くなるための原動力ともなった。恐れをかき消すために稽古場で四股を踏み、汗を流した。

 目指してきた高みに到達し「角界の父に恩返しができたかな」。ほっとした顔だった。

(産経ニュース2014.11.23)

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 朝青龍というライバルがいれば、もっと強くなれた

のではないか。

2014年5月28日 (水)

白鵬が歴代3位の29度目優勝、稀勢は及ばず

 

 大相撲夏場所千秋楽は25日、東京・両国国技館で行われ、横綱白鵬が14勝1敗で2場所ぶり29度目の優勝を果たした。横綱日馬富士との結びの一番を上手投げで制した。

 優勝回数は32度の大鵬、31度の千代の富士に次いで歴代3位。7月13日初日の名古屋場所で節目の30度目到達を目指す。

 日本出身力士として栃東(現玉ノ井親方)以来8年4カ月ぶりの優勝を狙った大関稀勢の里は13勝2敗で一歩及ばなかった。

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(産経ニュース2014.5.25)

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 横綱相撲でした。

2014年5月14日 (水)

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(増田俊也著)

内容紹介

昭和29年12月22日----。プロ柔道からプロレスに転じた木村政彦が、当時、人気絶頂の力道山と「実力日本一を争う」という名目で開催された「昭和の巌流島決戦」。試合は「引き分けにする」ことが事前に決められていたものの、木村が一方的に叩き潰され、KOされてしまう。まだ2局しかなかったとはいえ、共に生放送していたテレビの視聴率は100%。まさに、全国民注視の中で、無残な姿を晒してしまった木村、時に37歳。75歳まで生きた彼の、人生の折り返し点で起きた屈辱の出来事だった。柔道の現役時代、木村は柔道を殺し合いのための武道ととらえ、試合の前夜には必ず短刀の切っ先を腹部にあて、切腹の練習をして試合に臨んだ。負ければ腹を切る、その覚悟こそが木村を常勝たらしめたのである。約束を破った力道山を許すことができなかった木村は、かつて切腹の練習の際に使っていた短刀を手に、力道山を殺そうと付けねらう。しかし、現実にはそうはならなかった......その深層は? 戦後スポーツ史上、最大の謎とされる「巌流島決戦」を軸に、希代の最強柔道家・木村政彦の人生を詳\xA1
細に描く、大河巨編!!            

出版社からのコメント

『ゴング格闘技』誌上において、2008年から2011年まで、約4年間にわたって大反響を呼んだ長期大型連載が、待望の単行本化です。戦前、史上最年少で「全日本選士権」を制し、1949年に優勝するまで一度も負けず、15年間、不敗のまま引退。木村政彦は間違いなく日本柔道史上、最強の柔道家です。また、力道山戦の3年前、ブラジルに遠征し、ホイス・グレイシーの父、エリオの腕を骨折させて圧勝、その技が「キムラロック」として、世界に定着しており、総合格闘技の父ともいえる存在です。「鬼の柔道」を継承した師匠・牛島辰熊、そして自身が育て上げた岩釣兼生、三代続く師弟関係を中心に、戦前から戦後の柔道正史、思想家でもあった牛島による東條英機暗殺未遂事件の真相、プロレスの旗揚げなど昭和裏面史の要素もふんだんに織り込んだ、長編ノンフィクションです。著者の増田氏は、この作品を書くために、18年もの歳月を費やし、資料収集と取材にあたってきました。ボリュームある装丁ですが、増田氏の丁寧で真摯な取材と文章が、最後まで読む人の心を掴んで離しません。

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2014年4月22日 (火)

元貴闘力がプロレスデビュー 流血なんの、強烈張り手で白星ゲット

 大相撲の元関脇貴闘力で、2010年に野球賭博関与のため日本相撲協会を解雇された鎌苅忠茂氏(46)が16日、東京・代々木第二体育館でプロレスデビューを果たし、白星で飾った。

 リングネームは「貴闘力」。タッグマッチで、敵の大仁田厚らの攻撃に序盤は劣勢だった。場外乱闘の後はパイプいすで殴られ、有刺鉄線にたたきつけられた。

 しかし、角界で活躍していたころの激しい動きは健在。強烈な張り手で挽回し、最後も張り手からの片エビ固めで勝負を決めた。血に染まった顔で「気持ちは良かった」と息を切らした。

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(産経ニュース2014.4.17)

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 「人生いろいろ」だよな・・・

2014年4月12日 (土)

井上、TKOで最速王者 八重樫は3度目防衛

 

 世界ボクシング評議会(WBC)ダブルタイトルマッチが6日、東京・大田区総合体育館で行われ、ライトフライ級4位で20歳の井上尚弥(大橋)が王者のアドリアン・エルナンデス(メキシコ)を6回2分54秒、TKOで破り、日本選手最速となるプロ6戦目での世界王者となった。

 2011年2月にWBCミニマム級王座に就いた井岡一翔(かずと=井岡)の7戦目を塗り替えた。

 フライ級チャンピオンの八重樫東(あきら=大橋)は同級8位のオディロン・サレタ(メキシコ)に9回2分14秒でKO勝ちし、3度目の防衛を果たした。

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(産経ニュース2014.4.6)

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 こいつは強い!

2014年3月15日 (土)

また「元気ですか!」アントニオ猪木氏 許可得て絶叫

 日本維新の会のアントニオ猪木氏は13日の参院外交防衛委員会で、前日に続き「元気ですか!」と絶叫した。12日の参院予算委員会では、山崎力委員長から「心臓に悪い方もいる」と注意を受けたため、今回は末松信介外交防衛委員長の許可を得たうえで叫んだ。

 猪木氏は質問冒頭で「私はこのキャラクターでずっと生きてきた。(東日本大震災の)被災地が沈んでいた時に『元気ですか』との声で、みんな元気になった」と力説し、委員長が「どうぞ」と認めた。

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(産経ニュース2014.3.13)

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