会社から逃げる、人間関係から逃げる、目の前のピンチから逃げる……逃げることは、消極的で、後ろ向きなことだと考えていないだろうか。実は「逃げる」ことは戦うことと同じくらい積極的な行動である。戦うときに分泌されるホルモン「アドレナリン」は、逃げるときにも分泌されるのだ。
本当に大切なものを守るために、戦っても勝ち目がない、戦っても得るものがないと判断したら、さっさと逃げるべきである。だからまず、自分にとって本当に大切なものは何か、しっかり見定めなければならない――百田尚樹が人生についての根本的な考え方を語る一冊。日本人には「逃げる力」が足りない!
スポーツの世界では「努力すれば必ず報いられる」などという美談が溢れている。しかし著者の八十余年の体験だけでも、努力してもダメなことは実に多いという。つまり、ほとんどすべてのことに努力でなしうる限度があり、人間はその分際(身の程)を心得ない限り、到底幸福には暮らせないのだ。「すべてのものには分際がある」「老いと死がなければ、人間は謙虚になれない」「誰でも人生の終盤は負け戦」「他人を傷つけずに生きることはできない」「『流される』ことも一つの美学」「老年ほど勇気を必要とする時はない」等々、作家として六十年以上、世の中をみてきた著者の知恵を凝縮した一冊。
一人の人間が生まれるためには2人の両親がいる。
その両親は生まれるためには、
それぞれ両親がいる。
二代で4人、三代で8人、四代で16人である。
このように命の起源をさかのぼっていくと、
二十代で104万8,576人、
二十五代で3,355万4,432人、
三十代で10億7,374万1,824人
という人数になる。
五十代、六十代とさかのぼれば、
天文学的数字となる。
その祖先のうち、
もし一人でも欠けていたら、
私たちの命はない。
命の炎が一回も途切れることなく
連綿と続いてきたからこそ、
私たちはいま、この世に生きている。
先祖からの命の炎を託(たく)されて、
私たちはこの世を生きている。
この事実を受け止める時、
粛然とした気持ちにならざるを得ない。
生きるとは単に生き永(なが)らえることではない。
先祖から預かった命の炎を精一杯燃やしていくことである。
※『致知』1997年6月号
特集「生きる」/総リードより
一、微笑を絶やさない
一、人の話を素直に聞こう
一、親切にしよう
一、絶対に怒らない
『心に響く小さな5つの物語II』(藤尾秀昭・文/片岡鶴太郎・画)
「修身」の度合いを心理学的に考察した人に、 薄衣佐吉氏(故人)がいる。 氏は心は発達するものであり、 七つの段階があるという。 第一は自己中心の心。 赤ちゃんがそれである。自分の欲求だけに生きている。 第二は自律準備性の心。 幼稚園児の頃である。用事を手伝ったりする。 第三は自立力の段階。成人を迎え自立する。 第四は開拓力の時代。困難に立ち向かい、 開発改善していく力を持つ。年齢的には30~40代か。 第五は指導力。40~50代になり部下を指導していく。 第六は包容力。好き嫌いを超えて人を包容していく。 そして第七は感化力。その人がいることで 自ずと感化を与える。最高の状態といえよう。 人間、晩年にはかくありたいものだ。
『致知』2015年6月号 連載
「ご先祖を知れば、遺伝子のスイッチはオンになる」
天明 茂(事業構想大学院大学教授)
×
村上和雄(筑波大学名誉教授)
天明 初めて家系分析を行ったのは
薄衣(佐吉)先生の事務所に入ってすぐの頃でした。
戸籍謄本に基づいて4代前までの家系図を作った後、
先生の指導で母親や親戚から
祖父母の生き様を聞いてみました。
村上 ただ、家系図だけを見ても、
その背景にあるものまでは
なかなか分かりませんものね。
手明 私たち夫婦は両親と同居していたのですが、
私の父と妻との間に確執がありました。
しかし、調べていくと妻と父だけでなく、
母と義理の祖母、祖母と義理の曾祖母、
曾祖母とその上の高祖母の間にも
似たような確執がありました。
同じパターンが何代にもわたって
繰り返されていたんです。
このままいったら、今度は私たちが
子供と争うことになる。
「うわぁ、これは何としても
汚れた家系を正さなきゃ」と思って、
さらに調査を進めたら、
他にもいろいろなことが見えてきました。
例えば、曾祖父母は粟餅(あわもち)屋をやっていた
同じ名字の天明家に夫婦養子に入るのですが、
養家先の両親との対立が激しくなって養子縁組を解消し、
絶家していることが分かりました。
粟餅屋の両親が「このままだと絶家してしまう」と
泣いて頼むのを振り切って曾祖父母は家を出てしまう。
その時、曾祖父母は
「勝手にしろ。その代わりおまえたちが死ぬ時は
馬乗りになって絞め殺してやる」
という捨て台詞を言われた、という話を
母が祖父母から伝え聞いていたというんです。
それを知った時には身の毛がよだちましたが、
そう思って改めて家系を調べていくと、
家系の中に首つり自殺をした人が何人もいたんです。
私にはまるで「首を絞め殺してやるぞ」という
怨念のようにしか思えませんでした。
村上 あまり知りたくはない現実ですね。
天明 でも、それを知ったことがかえってよかったです。
粟餅屋をやっていた天明家の墓を探し出し供養してから、
不思議とよいことが起こるようになりました。
妻と父の確執も不思議なくらいなくなりました。
というのも、確執の原因が家系分析によって
分かってきたんですね。
父親は無口で陰険な人だったと申しましたが、
その背景を探ると、
祖父が人の借金を肩代わりして返せなくなり、
父と父の兄が人質として百姓奉公を
させられていたことが分かりました。
早朝から夜中まで働きづめの中で父は、
祖父が借金をしてしまったために
自分たちがこんな辛い思いをしなくてはいけないという
惨めさをいやというほど味わうんですね。
その頃から、人を信用してはいけない、
お金は無駄に使っちゃいけない、
贅沢はいけないという価値観が培われていったようです。
村上 そうでしたか。
天明 だから、父は妻がちょっと美味しいものを作ると
箸をつけなかった。
妻にしてみたら
「お父さんのために一所懸命料理をこしらえたのに、
きょうも食べてくれない。
きょうもこんな皮肉を言われた」
と大変なストレスだったのですが、
父は決して悪気があったわけではありませんでした。
村上 しかし、そういう背景が分かってくると、
対立していた相手の立場というものが
理解できるのではありませんか。
天明 おっしゃるとおりです。
妻の場合も、
「そうか、お父さんは私を嫌って
食べないわけじゃないんだ。
贅沢ができないだけなんだ。
だからお豆腐なら食べてくれるんだ」と。
それ以来、父には豆腐や目刺しを出し、
私たち夫婦はちょっと美味しいものを
食べるようにしましたが(笑)、
そういう工夫をする中で妻も父を恐れなくなって
自分から話ができるようになったんです。
私は5人きょうだいですが、父は晩年、
きょうだいの連れ合いの中で私の妻を
「セツ子、セツ子」と一番可愛がってくれましたよ。
村上 相手を変えようと思ったら、まず自分が変わる。
そうすれば家族が変わり、周囲も変わっていく、
ということなのでしょうね。
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